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フォロン展を訪れて

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どうも、私です。めりーです。 先日、ジャン・ミシェル・フォロンの展覧会に足を運びました。 彼の作品には、どこか夢の中をふわふわと漂っているような不思議な感覚があり、 淡くて優しい色彩、シンプルな線、静かで詩的な世界。そのどれもが、懐かしくて、少し切なくて、だけどなんだか心地良かった。 その前にビールを飲んでたのでふわふわで更に心地良かった。 展示を巡るうちに、フォロンが描く「人」の姿が気になった。 細かい表情なんてないのに、不思議と感情が伝わってくる。影のようなシルエットなのに、ちゃんと「そこにいる」感じがするのが不思議。 孤独とか、希望とか、静かなユーモアとか。 作品ごとに違う温度があって、どれもそっと寄り添ってくれるような優しさがある。 一番印象に残ったのは、黄色い矢印が迷路みたいに折れ曲がりながら続いている作品。 青い服を着た小さな人が、その道の上を歩いている。 矢印が指し示す先は、まるで人生の選択肢みたいだった。 ぐねぐね曲がっていたり、行き止まりに見えて実は続いていたり、 先の見えない道を進むしかない、そんな人生そのものみたいな絵だった。 オレンジ色の建物の作品もよかった。 開かれた扉の向こうには、青い空と海が広がっている。窓の向こうにも、同じ青の世界。 どこかへ続いているような、誘われるような感覚。 フォロンの作品には「境界」がよく出てくるけど、この絵もまた、現実と幻想、生と死、そのどれでもない狭間にいるような気持ちにさせてくれる。 フォロンの絵には、空や水がよく描かれている。 広くて、どこまでも続いていく風景の中に、小さな人の姿がぽつんとある。その対比が、なんだかたまらなく美しくて、ちょっとだけ寂しい。 会場を出る頃には、ふわふわとした余韻が心に残っていた、 日常と非日常のあいだで、フォロンの絵はこれからもずっと、そっと寄り添い続けてくれるのかもしれないなって思いながら、ふらふらとビールを飲みに大須に向かいました。

海底の花束

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成す術もなく、委ねた心は 抗うことすら、できないまま 甘い言葉に、溶かされていく 記憶の海に、溺れていく 傷は癒えずに 壊されていく 全てを 紅く染まる私を 汚し続ける、名もない人 毒に侵されて、朽ちる花 愛を知らぬまま、息を止める 灰と化していく、私を捨てて 綺麗な花を摘みにいく すぐに枯らして 汚れたまま ガラスの標本に納める

レコーディング!

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どうも、私です。めりーです。 本日はバンドで初めて作った楽曲の「水飴の夜」レコーディングでした。 スタジオ練習を2時間してから3時間のレコーディングでしたので、お腹空いてクタクタでした。 レコーディング前に食べた、サンドイッチが一瞬で消えるぐらいの消費カロリーを削り、家に着いたら気絶するようにぐっすり。 shikiiroを結成して、メンバーに歌メロとコードだけを投げて、初めてみんなで作った思入れのある楽曲になります。 轟音シューゲイザーサウンドで構成されており、メンバー全員の個性が良い感じに混ざり合ってバンドマジックを起こしたので、早く聴いてもらいたいです。 歌詞はお酒を飲みすぎて終電を逃し、徒歩3時間の帰路の中でアイデアが生まれたのでふわふわとしてますが、個人的に好きな歌詞なので、歌詞と共に楽しんでもらえたらと思っています。